2021年03月19日 (金) 22:22 | 編集
もう2週間前の小ニュースですけど、、、
大阪府高槻市内のJR東海道本線・安満第3踏切で、マナーの悪い「撮り鉄」を戒めるような内容の「ひらがな」で書かれた貼り紙があったと、ツイッター上で写真が投稿され、話題になりました。
「でんしゃがだいすきなおともだちへ」というタイトルをはじめ、すべてがひらがなで印刷されており、「おもちゃのでんしゃじゃないんだよ」と、線路に入ったり、電車の走行を邪魔したり、近隣の家の駐車場に勝手に入って撮ったりしてはダメだと訴えている内容。
注釈として、「いみがわからないおともだちはおうちのひとによんでもらってね」と書かれていました。

なお、JR西日本の近畿統括本部は「鉄道ファンをけなすものでない」と説明し、ネット上のイラストなどを無断で使っていたため、数日で撤去したとしています。
ひらがなにしたことを「皮肉っている」と解釈し「撮り鉄を侮辱してる」との声もあったが、マナーの悪い一部の人たち向けだとして賛同する意見も寄せられたとのこと。
JR西日本側の説明としては、「踏切は、小さな子供も通ったりします。ケガなどをしないよう安全確保のため、小学校低学年の児童などでも分かるよう、ひらがなにしました。大人も含めた広い世代に受け入れやすい表現にしたもので、決して鉄道ファンをけなしたりバカにしたりするものではありません」 とのことですが、、、
明らかに「マナーの悪い鉄オタ向け」でしょうねぇ。
子供の頃って、自分本位で、他人の迷惑を顧みない行動をしてしまうことが多々ありますが、みんな大人になるに従って社会性が身についてゆくものです。
しかし、社会性が身につかずに大人になってしまう人というのが、残念ながら一部に存在するわけですが、鉄オタ界では明らかにその残念な人の割合が高いです。
、、、過去にその業界にいた経験があるのでよく解ります。
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2021年03月12日 (金) 22:23 | 編集
今日は3月12日、JRダイヤ改正の前日ということで、40年の長きにわたって活躍してきた185系の定期運用の最終日。
そんなわけで、惜別の情も込めて、今日は185系について語ろうと思う。
今から40年前、東京と伊豆を結ぶ列車は、特急「あまぎ」と急行「伊豆」の2本立て。
「あまぎ」に使用されていたのは、当時の国鉄の特急車両の直流型標準形式、183系であった。

183系は関東甲信越を中心に広く使用されていた、赤とクリームの2トーンカラーの典型的な「国鉄の特急電車」である。
「伊豆」に使われていたのは、東海道新幹線開業前から東海道本線で活躍していた急行車両の標準形式の153系。

当時の東海道線の急行列車といえばこの車両で、神奈川県西部から静岡県にかけての蜜柑畑をイメージする2トーンカラーで、普通列車にも頻繁に使用されていた。
この153系が老朽化したのを受けて、1981年から代替車両として投入されたのが185系である。

そんなわけで185系のデビュー当時は、急行「伊豆」と普通列車に充当されていた。
153系から185系に置き換えられてゆく過程では、しばしば両形式の併結運転も目にすることができた。

153系が185系に全て置き換えられた時点で、急行「伊豆」を格上げする形で新しく特急「踊り子」が誕生した。
正確には、急行「伊豆」と特急「あまぎ」を廃止して、急行「伊豆」よりは停車駅が少なく、特急「あまぎ」よりは停車駅の多い列車を新設し、185系を充当する、、、それが特急「踊り子」だったというところである。
デビュー当初の185系は、鉄道ファンの間からは非常に不評な車両であった。
理由は特急用車両なのに「特急らしくない」から。
最も槍玉に上がったのが、その車内設備である。
国鉄の特急列車といえば回転式クロスシートが標準なのに、185系は関西地区で新快速に使われている転換式クロスシートと同等の椅子を装備していたことが、「特急はかくあるべき」という鉄道ファンには許せなかったのである。
さらには特急型なのに窓が開くという点も「特急らしくない」と揶揄される点であった。
そもそも185系は、急行型の153系を進化(グレードアップ)させた車両で、普通列車にも使用するというのが前提であったので、どうしても旧来の特急型よりはカジュアルな感じになるのは避けられなかった。
普通列車への使用を前提にしているため、従来の特急型車両よりも通路を広くとり、ドアも広く設計されていた。
その一方で、従来の車両にはないスッキリした天井の造作、金属パイプの見えない網棚、コルク柄の壁面デザイン、爽やかなカーテン色など、それまでの国鉄の標準型車両にはないハイセンスなデザインで、個人的には好きだったのだが、これも多くの層には受け入れられなかったようである。

そしてなにより、その外装は、それまでの国鉄では到底考えられなかった斜めラインのストライプ、、、当時としては斬新すぎるその外観もまた「落ち着きのないデザイン」と、批判の矛先が向いたのであった。
当時は急行型車両を普通列車にも使用するのは当たり前であったが、特急型車両を普通列車に使用するという前例がなかったので、大いに批判されたわけである。
加えて、急行を廃止して特急に格上げし、一本化するというのは「実質的な値上げ」と批判され、当時の国鉄の巨額な累積赤字は国民的な批判の対象であったことも作用して、「姑息な増収策」と揶揄された。
その後、国鉄はJRとなり、バブル景気も相まって、東海道線の混雑度は悪化の一途を辿り、185系を普通列車に充当することは現実的ではなくなってゆく。
普通列車としての運用も徐々に数を減らしてゆき、それに伴い後年、評判の悪かった転換式クロスシートも回転式クロスシートに換装されて現在に至っている。
個人的には185系には非常に愛着があって、好きな車両である。
理由は前述の「特急らしくない」と揶揄されながらデビューした点である。
内外装のデザインなど、当時としては画期的で秀逸な点も多く、その後の車両の礎になったものが数多いのだが、それが殆ど評価されていない点も大いに共感が持てる。
185系の登場時、自分は鉄道ファンの一人だったが、同好の士たちは一様に185系を悪く言い、「185系、なかなか良いと思いますけどねぇ」と言う私は変人として見られていたのである。
「特急車両はかくあるべき」という思いが強い旧来の鉄道ファンの気持ちは解らなくなかったが、そこから少しでも外れるものを非難する風潮には馴染めない感情が私にはあった。
思えば自分の人生も「生徒らしくない」「学生らしくない」「医局員らしくない」という周囲の批判的視線との葛藤だった。
「学生はかくあるべき」「医局員はかくあるべき」という規範を最低限守る必要はあると思うが、状況の変化に対応して変化する必要は必ず生じるものだ。
その過渡期に代表者として任務を請け負うことになった者を単に批判するだけでなく、難しい時期に一肌脱いで任に当たってくれているというリスペクトの念もまた持ち合わせて欲しいと思う、、、185系の登場時に多感な年齢だった自分と重ね合わせると、それから40年にわたって活躍をし、長寿車両となったのもまた妙に感慨深いものがある。
2021年02月25日 (木) 22:24 | 編集
おいらにとって時刻表といえば「国鉄監修・交通公社の時刻表」が昔からの定番でした。

今は「JTB時刻表」となっていますが、本日、新しい時刻表(3月号)が手元に届きました。

JRの時刻改正が3月13日に行われるわけですが、今回は終電前倒しという世紀の改正が行われますので、早速、東海道線のページを開きました。
おお、、、下り終電の東京駅の出発時刻は変わらず23:54のまま、横浜駅も0:24で改正前と同じです。
変更点は行き先が小田原から平塚になったこと、要するに平塚までの利用客にとっては、以前と変わらずということですね。
藤沢で接続する小田急線の片瀬江ノ島行き終電も変わらず存続するということで、横浜駅周辺で飲むときのお開きの時間もそのまま、、、結局それかい、と。
さて、今度の時刻改正を機に、永らく特急「踊り子」に使用されてきた185系が定期運用から離脱します。
それにともなって、現在185系の各種備品の盗難被害が相次いでいるとのこと。
いわゆる「盗り鉄」の仕業なんでしょうけど、本当に許せませんなぁ。
鉄オタってのは本当に、見た目は暗いし、喋ると気持ち悪いし、社会性皆無だし、他人の迷惑かえりみないし、それに加えて窃盗行為を繰り返すとなれば、もはや生きてゆく資格はありませんな。
こういう輩を確実に検挙して欲しいのはもちろんですが、ここはひとつ奴らの個人情報をバッチリ管理して、おトクな切符を一切買えないようにしたり、指定券を買う資格を剥奪するとか、個人的には是非そうしたいと思います、本当に。
2021年02月08日 (月) 22:23 | 編集
JR東日本は本日(8日)、東海道本線の大船~藤沢間に新駅を設置することで、神奈川県と藤沢市と鎌倉市と合意し、覚書を締結しました。
新駅の名称は「村岡新駅(仮称)」で、予定地は藤沢市内にある旧国鉄の「湘南貨物駅(1969〜1985年)」の跡地。
「村岡新駅」の開業が予定通り実現すれば、JR東日本管内における東海道本線の旅客駅の新駅開業は、「山手線」や「京浜東北線」、「横須賀線」や「湘南新宿ライン」しか停車しない駅を除くと、1925年の熱海駅開業以来、107年ぶりとなります。

東海道線利用者という個人的見地では、大船〜藤沢間という短い区間の中に、さらにもう一駅を作って所要時間が延びることがどうにも納得できず、「快速アクティーは絶対に停めてくれるな!、ついでに戸塚も通過してしまえ!」とか思うわけですが、俯瞰的な第三者の視点で見れば、駅の北側には武田薬品湘南研究所〜湘南ヘルスイノベーションパーク (湘南アイパーク) があるということ、そして、駅の南側から柏尾川を挟んで隣接する鎌倉市深沢地区には、1987年に発生した旧国鉄清算事業団用地と旧国鉄大船工場(2006年に廃止)の跡地があって、村岡地区(約8.6ha)と深沢地区(約31.1ha)を合わせた広大な敷地を一体開発して、行政施設、商業施設、医療・福祉施設、都市型住宅等を設ける計画があるとのことで、まぁ新駅設置のための要件は十分すぎるくらいに揃っているのかな、、、と。
しかし、それにしたって朝の東海道線の混雑は今でも半端じゃないわけですが、そこにこの地区への人口流入が起きて東海道線の混雑激化、なんてことになったら本当にねぇ。。。
コロナ禍のせいで、通勤ラッシュも以前のような状況には戻らないという見方もありますが、大船からの東京方面の列車に関しては、東海道線だけが混雑するという現況に拍車がかかることは間違いないでしょう。
そこで、個人的提案としては、東海道線は停車させずに、現在は大船止まりの根岸線を延伸させて「村岡新駅を終点にする」というのはどうですか?、と。
東海道線の所要時間延長と混雑激化は起こりませんし、むしろ混雑緩和に役立ちます。
村岡新駅始発の根岸線に乗れば、座って楽々通勤もできて、住宅地としての魅力もアップします。
しかしながら、配線略図.netからの線路の配置状況を見ると、根岸線から鎌倉車両センターの脇を通して村岡地区まで直通させるのは相当な大規模改修が必要で、それを現在の運行状況を維持しながらやるというのは至難の業だということが分かります。

あと、これをやってしまうと、新駅周辺地区と藤沢駅周辺地区の分断が起きて、新駅周辺地区の人の流れは完全に大船駅に向かってしまうので、藤沢市の行政が首を縦に振ることはまずないでしょうけど。
それにしても、近年稀に見る湘南地区のビッグプロジェクトですから、色々なことが変わりそうですね。
藤沢市の人口は今後ますます増えそうです。
鎌倉市は完全に首都移転がおきて、今の鎌倉駅周辺は完全な観光地となりますね。
混雑する東海道線を横目に横須賀線はさらに空くようになって、、、それはそうとこのプロジェクトって、湘南モノレールには追い風?、それとも逆風?、どっち??。
2020年11月13日 (金) 22:22 | 編集
ついにこの日が来てしまいました。
JR新潟駅の駅舎の取り壊しが始まったようです。
新潟駅の万代口といえば、昔ながらの国鉄時代を象徴する典型的な地方の県庁所在地駅の造りでした。
国鉄時代の典型的構造の駅舎は各地に今でも残っていますが、これだけの規模の駅舎では「最後の生き残り」だったはず。
しかし、在来線の高架化に伴う駅前の再開発のため、1958年以来62年間の歴史に幕を下ろします。
新潟は各種学会が開催されることが多く、何度も短期滞在をしましたが、現地でいただく食事とお酒が非常に美味しいこともあって、とても好きな街で学会以外でもちょくちょく訪問しておりました。
写真は2015年のGWに新潟を訪れた時に撮ったものですが、4階建ての典型的な旧国鉄時代の地方主要駅の出で立ち、、、さらに駅舎の右側には、旧新潟鉄道管理局(現JR東日本新潟支社)の社屋が併設されております。

旧国鉄時代の典型的な構造といえば、改札口を抜けると、すぐそこが1番線のホームというね。

そして、駅前には「楽天地」というレトロな酒場街。。。

2017年のGWに訪問した時は、新潟駅舎の余命が数年だということを承知しておりましたので、駅舎をバックに記念撮影をしました。

そして昨年、2019年の9月に学会参加のために訪問したのが、この駅舎を利用した最後となりました。

学会終わりでゲルマン民族の如く大移動して来た学会参加者で、駅舎内の券売機前のスペースがエライことになってしまったのも記憶に新しいところです。

昭和時代の建物がまたひとつ消えてゆく、、、ちょっと寂しいですね。
でも駅舎が解体撤去されても新潟の街の魅力は活き続けるでしょう。

新潟にはまた行きますので、どうぞよろしくお願いします。
2020年11月10日 (火) 22:22 | 編集
先週の金曜日(6日)の記事で、懐かしのキハ58について記しましたが、ついでと言ってはなんですけど、埋れた写真を掘り出していたところ、昭和40年代に非電化幹線のエースとして君臨していた80系気動車、中でも優美な形態で亜幹線のクイーンと謳われた先頭車:キハ82の写真がありました。
その昔、おいらが鉄ちゃんだった頃、今から約40年前ですが、島根県の山陰本線、三保三隅駅付近で撮った、80系も晩年に近づいた頃の写真です。

非電化の地方幹線を走行することが前提だったため、沿線の利用者数の増減に柔軟に対処する必要性が生じました。
途中駅での分割併合が容易に行えるよう、前面貫通型の先頭形状となったわけですが、そこは特急用車両として、他の車両とは一線を画した優美なデザインが与えられました。
運転席前面のガラスは側面まで大きく回り込んだ曲面ガラス(パノラミックウィンドウ)で、デザイン上のポイントとなり、造形面での優美さと機能性を兼ね備えた完成度の高い前頭形状を形成しています。
これ、1961年のデザインですからね、当時としては非常に斬新だったことでしょう。

写真の列車は、当時、大阪から博多まで山陰本線経由で走破していた「まつかぜ」です。
朝8時頃に大阪と博多をそれぞれ出発して、終着は夜の9時頃と、13時間もの長きをかけて走っていました。
大阪〜博多間は当時すでに新幹線がありましたからね、わざわざ山陰本線経由の遠回りで乗り通す人など皆無に等しく、この列車の役割は近畿圏と山陰地方、九州北部と山陰地方を結ぶことでした。

写真は6両編成ですが、グリーン車と食堂車を組み込んだ編成で、大阪〜鳥取間はこれに6両が増結されて堂々の12両編成で運転されていました。
こんな列車が今でも走っていたら、食堂車でビールなどを飲みつつ、山陰の綺麗な海を愛でながら、旅情に浸りまくるのになぁ。。。
2020年11月06日 (金) 22:22 | 編集
先日の3日(文化の日)に群馬県の「碓氷峠鉄道ぶんかむら」に行ったところ、昔懐かしの車輌群を見てしまったものですから、、、今から約40年前、おいらが鉄ちゃんだった頃に撮った写真を引っ張り出してみました。
国鉄の急行型気動車の標準型といえば、キハ58系です。
全国どこに行っても非電化区間であれば見ることができました。(さすがに首都圏の相模線など通勤輸送がメインの路線では見れませんでしたが、、、)

上の写真は、岩手県を走る山田線に乗って、盛岡から三陸海岸の宮古に向かっている最中、途中駅で停車中に撮りました。
下の写真は、山陰本線の島根県の三保三隅駅周辺で撮ったものです。

通り過ぎて去って行く列車を追いかけでパチリ。

このキハ58、急行から普通列車まで幅広く使われておりました。
2両編成を最小単位として、12〜14両などの長大編成も可能で、他形式との併結もOKという汎用性の高さがその理由でしょう。
全国どこに行ってもこの塗色(国鉄標準色)の列車が走っていて、当時は画一的で面白みに欠けていたわけですが、JR化後は各地区独自の派手なカラーに塗り直されました。
しかしながら、いざ消えてしまうと、この目に馴染んだ塗色が一番好きということに気づくというね。
人間とは勝手な生き物であります。
2020年11月03日 (火) 22:42 | 編集
早起きして東京駅にやってきました。
今日はGoToにあやかって、日帰り旅行です。
GoTo割ということはパック旅行なので、東京からでも上野からでも大宮からでも料金が一緒、、、だったら東京から新幹線乗るよね。

たにがわ401号に乗って、朝からビールを楽しむでやんす。

高崎で下車をしまして、信越線に乗り換えます。

湘南地区では見られなくなった211系が、こちらでは思い切り健在です。

終点の横川駅に着きまして、朝食はパック旅行に付属している「峠の釜めし」です。

出来立ての温かい峠の釜めしを食べたのは初めての体験、、、最初は感動しましたけど、食べているうちに「やはり駅弁って冷めた状態で一番美味しく食べられるように味付けしてある」ことを認識するの巻。

横川駅前には「おぎのや」の本店がありましてね、、、こんな田舎の小さなお店が大繁盛するとは、、、これも碓氷峠があるせいで補機の電気機関車を連結するために、特急列車も例外なく全列車が横川駅に停車、しかもそれなりの停車時間があったことで、駅弁がよく売れたということなのです。

その後は横川駅に隣接している「鉄道文化むら」に行ってみました。
ちなみにこちらの入場券もパック旅行に付属しています。

昔懐かしの車両群がお出迎えしてくれます。

ナメクジの愛称を持つ初期型のD51も展示してありました。

さて、北陸新幹線が長野まで開業した時に、信越本線の碓氷峠部分(横川〜軽井沢間)は廃止されたわけですが、その廃線跡を使って、観光用のトロッコ列車が運転されているので乗ってみました。

複線の下り線をトロッコ列車が使用し、上り線は遊歩道に改修されています。
それにしても、日本の鉄道の最急勾配区間だっただけあって、迫力満点です。
昔は特急「あさま」に乗ってここを通過したんだよな〜、、、とシミジミ。

トロッコ列車の終点には温泉施設があるので、そこで1時間ほど入浴して、湯上がりは当然のようにビールでしょ。馬〜。

その後は廃線跡の遊歩道を散策、、、旧線のトンネルも通り抜けられて、雰囲気抜群です。

獣道かと思ったら、本物の中山道でした。

いや〜、それにしても良い天気、、、山は既に色づき始めています。

峠の廃線跡を下っていくと、途中に旧い変電所があって、これまた良い雰囲気です。

昔のレンガ造りの建物は趣深し。

とにかく下り坂が延々と続くので、歩くのは楽チンです。

さらに廃線跡を下ると、上信越自動車道がオーバーラップ。

横川駅に戻ってきました。駅周辺には昔懐かしのホーロー看板が健在です。

そして、横川駅からまた信越線に乗って高崎まで、、、

高崎からは「Maxとき368号」に乗って帰ってまいりました。

夜は3月以来、久々に「ゆうがた」を訪問。

相変わらず、前菜の盛り合わせは見た目が綺麗なだけでなく、異常に旨し、、、日本酒がススム〜。

その後は鴨しゃぶ鍋をハリハリと美味しくいただきました。
ちなみに今日のメンツは、昨年2月に流氷を観に行った人たちによる感動の再会でした。

2軒目は隣の「フランチェスカ」でワインなんぞをチビチビいただきながら、楽しい夜を過ごしたのでした。
それでは皆さま、おやすみなさいzzz
2020年10月16日 (金) 22:38 | 編集
今週は、水曜日(14日)の夜に北陸新幹線に乗って石川県の金沢に入り、木曜日(15日)は日本歯周病学会の専門医委員会に出席、そして今日(16日)と明日(17日)は、当院のスタッフも金沢入りして「第63回秋季日本歯周病学会学術大会」に全員で参加する予定でした。
しかし、コロナ禍のせいで学術大会はWeb開催に変更となり、金沢まで行く必要がなくなってしまいました。
当院としては、もともと休診にする予定だった今日と明日を、そのまま休診とさせていただき、コロナ禍にあっても真面目に勤務してくれて、精神的にも疲弊しているであろうスタッフの皆に休暇をとってもらうことにしました。
おいらもちょっとリフレッシュさせていただくことにいたしまして、たまたま休みが重なった嫁さんを誘って、日帰り旅行を計画しました。
まずは大船駅から特急「踊り子3号」伊豆急下田・修善寺行きに乗り込みます。

長らく「踊り子」用に使用されてきた185系が誕生したのは今から40年前、昭和の生まれの国鉄型車輌です。
この185系も引退がカウントダウンとなりましたので、今のうちに是非乗っておこう、と思い立ったわけです。

記念乗車ですから奮発してグリーン車に乗りましたが、まぁ予想していた通り、ガラガラであります。

思えば「踊り子」を利用したことって、もっぱら東京〜大船間で「普通列車のグリーン料金よりも踊り子の特急料金の方が安いから」という理由で乗車してばかりで、今回初めて伊豆に向かうという本来の使い方を体験するのでありました。

朝からビールを美味しくいただけるのは休日の醍醐味です。
ビールの後は、ワンカップの日本酒、、、どちらも大船駅で購入しました。

小田原を発車して早川を過ぎると、車窓には相模湾が広がって旅行気分が一気に高まります。

洗面所の洗面器も独特の国鉄型が健在です。
蛇口から手を離すと水が止まるという、今となっては非常に使いづらい仕様ですが、昔は洗面器に水を溜めるのが前提ということで、まさに隔世の感があるというものです。

思えば「方向幕」も今やLED表示が主流で、巻き取り式は絶滅危惧種であります。

185系が登場した40年前、当時は斜めストライプの塗装が非常に斬新でした。

伊東駅に停車中に、反対側のホームから編成美をカメラに収めました。

天気予報では曇り時々雨だったのですが、どんどん晴れてまいりました。
これは嬉しい誤算ということで、途中の伊豆高原駅で下車、185系に別れを告げて、大室山にやってまいりました。

リフトに乗って山頂を目指します。

大室山は火山なので山頂には噴火口があって、噴火口の中はアーチェリー場になっていますが、我々は時間も限られているので、噴火口の中には降りませんでした。

そして噴火口の反対側は海一望、まさに絶景です。

日頃の行いが良いからか、なんと富士山も見えましたぁ。

富士山の反対側には伊豆大島も望めます。

せっかく山頂まで来たのですから、噴火口の縁に沿って「お鉢周り」をすることにしました。

1周は約1キロですが、素晴らしい眺めで爽快感抜群です。

噴火口越しに見る富士山の眺め、、、

非日常感を満喫するのにうってつけです。

今日は視程も良く、水平線上に房総半島まで望むことができました。

リフトで山を下りまして、、、

伊豆高原駅から伊豆急の各駅停車に乗って伊豆急下田まで、、、車両は元東急の8000系です。

片瀬白田〜伊豆稲取の間は海が眼前に迫って、伊豆大島や、、、

利島を望むことができました。

終点の伊豆急下田についた我々は、駅から徒歩数分の「いし塚」というお蕎麦屋さんに行きました。

揚げ蕎麦をアテにビールをいただくという至福の時間、、、

蕎麦豆腐のアテには美味しい地酒をチビチビスイスイといただき、至福度はさらに深まります。

そして美味しいお蕎麦に舌も心も大満足するのでした。

このお店の特筆すべきは、山葵、大根おろし、刻み葱という通常の薬味以外に、独特な七味唐辛子(海苔入り)を蕎麦に合わせていただくことですが、これがまた素晴らしく美味しいこと。
思わず自分のお土産用に買っちゃいました。

食後はそのまま伊豆急下田駅にとって返しまして、今度はE261系「サフィール踊り子2号」東京行きに乗り込みます。

先ほどの185系が「昭和の踊り子」なら、今年3月デビューの最新車輌E261系は「令和の踊り子」です。

往路にも増して奮発した復路は、6人用個室の2人使用であります。

天窓のような明かり取り窓は側廊下にもあって、とても明るいナイスな雰囲気です。

洗面台も自動水栓の現代版ですし、、、

トイレもウォシュレット完備で言うことなしです。

広い側窓からは大海原がど〜んと飛び込んでまいります。

こんな素敵な個室が、一部の人にしか買えない超高額商品ではなく、通常料金で設定されていること、しかも駅のみどりの窓口で普通に切符として買えることの素晴らしさ、、、

この専有スペースの広さを考えたら、これは破格の低価格と言って良いでしょう。

この列車には食堂車(ヌードルバー)もあって、インスタントではない、ちゃんとしたラーメンを提供しているのもポイントで、個室ならばデリバリーもしてくれます。

しかも、観光列車なのに価格は¥650というのもまた良心的と思うものです。

せっかくなので地ビールの「反射炉ビール」もデリバリーしてもらいましたが、これまた素晴らしいサービスですあります。

このE261系は、窓ガラスの色が工夫されていて、海と空の青がちゃんと綺麗に映るようになっていて、視覚的にはもちろん、室内に射し込む光線環境も最高です。

旅の終わりの記念に、ということで、綺麗で親切なアテンダントのお姉さんに、写真を撮ってもらいました。

熱海を過ぎると次は横浜まで止まりません。
子供の頃からそうなのですが、往路の特急が藤沢駅を通過する瞬間はとっても嬉しくてワクワクするのですが、復路の特急が藤沢駅を通過する時は非常に寂しくなるんです、、、今日もそうでした。
横浜から東海道線のE231系普通列車(もちろん普通車)で折り返して藤沢に戻ってきました。
夕食はどこにしようかということになりましたが、、、

嫁さんの希望で「古久家」になりました。
ここぞ昭和感がバリバリに満ち溢れる店内であります。

ビールのアテには焼きそばでしょう、、、ここの焼きそばにはしっかりお酢をかけるのがポイント。

さらにはサンマーメン、、、もうね、どんだけ麺類ばかりなんだっていう。。。

朝から効率よく移動と観光をして、昭和と令和の踊り子を両方堪能して、有意義な1日でありました〜。