2020年11月13日 (金) 22:22 | 編集
ついにこの日が来てしまいました。
JR新潟駅の駅舎の取り壊しが始まったようです。
新潟駅の万代口といえば、昔ながらの国鉄時代を象徴する典型的な地方の県庁所在地駅の造りでした。
国鉄時代の典型的構造の駅舎は各地に今でも残っていますが、これだけの規模の駅舎では「最後の生き残り」だったはず。
しかし、在来線の高架化に伴う駅前の再開発のため、1958年以来62年間の歴史に幕を下ろします。
新潟は各種学会が開催されることが多く、何度も短期滞在をしましたが、現地でいただく食事とお酒が非常に美味しいこともあって、とても好きな街で学会以外でもちょくちょく訪問しておりました。
写真は2015年のGWに新潟を訪れた時に撮ったものですが、4階建ての典型的な旧国鉄時代の地方主要駅の出で立ち、、、さらに駅舎の右側には、旧新潟鉄道管理局(現JR東日本新潟支社)の社屋が併設されております。

旧国鉄時代の典型的な構造といえば、改札口を抜けると、すぐそこが1番線のホームというね。

そして、駅前には「楽天地」というレトロな酒場街。。。

2017年のGWに訪問した時は、新潟駅舎の余命が数年だということを承知しておりましたので、駅舎をバックに記念撮影をしました。

そして昨年、2019年の9月に学会参加のために訪問したのが、この駅舎を利用した最後となりました。

学会終わりでゲルマン民族の如く大移動して来た学会参加者で、駅舎内の券売機前のスペースがエライことになってしまったのも記憶に新しいところです。

昭和時代の建物がまたひとつ消えてゆく、、、ちょっと寂しいですね。
でも駅舎が解体撤去されても新潟の街の魅力は活き続けるでしょう。

新潟にはまた行きますので、どうぞよろしくお願いします。
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2020年11月10日 (火) 22:22 | 編集
先週の金曜日(6日)の記事で、懐かしのキハ58について記しましたが、ついでと言ってはなんですけど、埋れた写真を掘り出していたところ、昭和40年代に非電化幹線のエースとして君臨していた80系気動車、中でも優美な形態で亜幹線のクイーンと謳われた先頭車:キハ82の写真がありました。
その昔、おいらが鉄ちゃんだった頃、今から約40年前ですが、島根県の山陰本線、三保三隅駅付近で撮った、80系も晩年に近づいた頃の写真です。

非電化の地方幹線を走行することが前提だったため、沿線の利用者数の増減に柔軟に対処する必要性が生じました。
途中駅での分割併合が容易に行えるよう、前面貫通型の先頭形状となったわけですが、そこは特急用車両として、他の車両とは一線を画した優美なデザインが与えられました。
運転席前面のガラスは側面まで大きく回り込んだ曲面ガラス(パノラミックウィンドウ)で、デザイン上のポイントとなり、造形面での優美さと機能性を兼ね備えた完成度の高い前頭形状を形成しています。
これ、1961年のデザインですからね、当時としては非常に斬新だったことでしょう。

写真の列車は、当時、大阪から博多まで山陰本線経由で走破していた「まつかぜ」です。
朝8時頃に大阪と博多をそれぞれ出発して、終着は夜の9時頃と、13時間もの長きをかけて走っていました。
大阪〜博多間は当時すでに新幹線がありましたからね、わざわざ山陰本線経由の遠回りで乗り通す人など皆無に等しく、この列車の役割は近畿圏と山陰地方、九州北部と山陰地方を結ぶことでした。

写真は6両編成ですが、グリーン車と食堂車を組み込んだ編成で、大阪〜鳥取間はこれに6両が増結されて堂々の12両編成で運転されていました。
こんな列車が今でも走っていたら、食堂車でビールなどを飲みつつ、山陰の綺麗な海を愛でながら、旅情に浸りまくるのになぁ。。。
2020年11月06日 (金) 22:22 | 編集
先日の3日(文化の日)に群馬県の「碓氷峠鉄道ぶんかむら」に行ったところ、昔懐かしの車輌群を見てしまったものですから、、、今から約40年前、おいらが鉄ちゃんだった頃に撮った写真を引っ張り出してみました。
国鉄の急行型気動車の標準型といえば、キハ58系です。
全国どこに行っても非電化区間であれば見ることができました。(さすがに首都圏の相模線など通勤輸送がメインの路線では見れませんでしたが、、、)

上の写真は、岩手県を走る山田線に乗って、盛岡から三陸海岸の宮古に向かっている最中、途中駅で停車中に撮りました。
下の写真は、山陰本線の島根県の三保三隅駅周辺で撮ったものです。

通り過ぎて去って行く列車を追いかけでパチリ。

このキハ58、急行から普通列車まで幅広く使われておりました。
2両編成を最小単位として、12〜14両などの長大編成も可能で、他形式との併結もOKという汎用性の高さがその理由でしょう。
全国どこに行ってもこの塗色(国鉄標準色)の列車が走っていて、当時は画一的で面白みに欠けていたわけですが、JR化後は各地区独自の派手なカラーに塗り直されました。
しかしながら、いざ消えてしまうと、この目に馴染んだ塗色が一番好きということに気づくというね。
人間とは勝手な生き物であります。
2020年11月03日 (火) 22:42 | 編集
早起きして東京駅にやってきました。
今日はGoToにあやかって、日帰り旅行です。
GoTo割ということはパック旅行なので、東京からでも上野からでも大宮からでも料金が一緒、、、だったら東京から新幹線乗るよね。

たにがわ401号に乗って、朝からビールを楽しむでやんす。

高崎で下車をしまして、信越線に乗り換えます。

湘南地区では見られなくなった211系が、こちらでは思い切り健在です。

終点の横川駅に着きまして、朝食はパック旅行に付属している「峠の釜めし」です。

出来立ての温かい峠の釜めしを食べたのは初めての体験、、、最初は感動しましたけど、食べているうちに「やはり駅弁って冷めた状態で一番美味しく食べられるように味付けしてある」ことを認識するの巻。

横川駅前には「おぎのや」の本店がありましてね、、、こんな田舎の小さなお店が大繁盛するとは、、、これも碓氷峠があるせいで補機の電気機関車を連結するために、特急列車も例外なく全列車が横川駅に停車、しかもそれなりの停車時間があったことで、駅弁がよく売れたということなのです。

その後は横川駅に隣接している「鉄道文化むら」に行ってみました。
ちなみにこちらの入場券もパック旅行に付属しています。

昔懐かしの車両群がお出迎えしてくれます。

ナメクジの愛称を持つ初期型のD51も展示してありました。

さて、北陸新幹線が長野まで開業した時に、信越本線の碓氷峠部分(横川〜軽井沢間)は廃止されたわけですが、その廃線跡を使って、観光用のトロッコ列車が運転されているので乗ってみました。

複線の下り線をトロッコ列車が使用し、上り線は遊歩道に改修されています。
それにしても、日本の鉄道の最急勾配区間だっただけあって、迫力満点です。
昔は特急「あさま」に乗ってここを通過したんだよな〜、、、とシミジミ。

トロッコ列車の終点には温泉施設があるので、そこで1時間ほど入浴して、湯上がりは当然のようにビールでしょ。馬〜。

その後は廃線跡の遊歩道を散策、、、旧線のトンネルも通り抜けられて、雰囲気抜群です。

獣道かと思ったら、本物の中山道でした。

いや〜、それにしても良い天気、、、山は既に色づき始めています。

峠の廃線跡を下っていくと、途中に旧い変電所があって、これまた良い雰囲気です。

昔のレンガ造りの建物は趣深し。

とにかく下り坂が延々と続くので、歩くのは楽チンです。

さらに廃線跡を下ると、上信越自動車道がオーバーラップ。

横川駅に戻ってきました。駅周辺には昔懐かしのホーロー看板が健在です。

そして、横川駅からまた信越線に乗って高崎まで、、、

高崎からは「Maxとき368号」に乗って帰ってまいりました。

夜は3月以来、久々に「ゆうがた」を訪問。

相変わらず、前菜の盛り合わせは見た目が綺麗なだけでなく、異常に旨し、、、日本酒がススム〜。

その後は鴨しゃぶ鍋をハリハリと美味しくいただきました。
ちなみに今日のメンツは、昨年2月に流氷を観に行った人たちによる感動の再会でした。

2軒目は隣の「フランチェスカ」でワインなんぞをチビチビいただきながら、楽しい夜を過ごしたのでした。
それでは皆さま、おやすみなさいzzz
2020年10月16日 (金) 22:38 | 編集
今週は、水曜日(14日)の夜に北陸新幹線に乗って石川県の金沢に入り、木曜日(15日)は日本歯周病学会の専門医委員会に出席、そして今日(16日)と明日(17日)は、当院のスタッフも金沢入りして「第63回秋季日本歯周病学会学術大会」に全員で参加する予定でした。
しかし、コロナ禍のせいで学術大会はWeb開催に変更となり、金沢まで行く必要がなくなってしまいました。
当院としては、もともと休診にする予定だった今日と明日を、そのまま休診とさせていただき、コロナ禍にあっても真面目に勤務してくれて、精神的にも疲弊しているであろうスタッフの皆に休暇をとってもらうことにしました。
おいらもちょっとリフレッシュさせていただくことにいたしまして、たまたま休みが重なった嫁さんを誘って、日帰り旅行を計画しました。
まずは大船駅から特急「踊り子3号」伊豆急下田・修善寺行きに乗り込みます。

長らく「踊り子」用に使用されてきた185系が誕生したのは今から40年前、昭和の生まれの国鉄型車輌です。
この185系も引退がカウントダウンとなりましたので、今のうちに是非乗っておこう、と思い立ったわけです。

記念乗車ですから奮発してグリーン車に乗りましたが、まぁ予想していた通り、ガラガラであります。

思えば「踊り子」を利用したことって、もっぱら東京〜大船間で「普通列車のグリーン料金よりも踊り子の特急料金の方が安いから」という理由で乗車してばかりで、今回初めて伊豆に向かうという本来の使い方を体験するのでありました。

朝からビールを美味しくいただけるのは休日の醍醐味です。
ビールの後は、ワンカップの日本酒、、、どちらも大船駅で購入しました。

小田原を発車して早川を過ぎると、車窓には相模湾が広がって旅行気分が一気に高まります。

洗面所の洗面器も独特の国鉄型が健在です。
蛇口から手を離すと水が止まるという、今となっては非常に使いづらい仕様ですが、昔は洗面器に水を溜めるのが前提ということで、まさに隔世の感があるというものです。

思えば「方向幕」も今やLED表示が主流で、巻き取り式は絶滅危惧種であります。

185系が登場した40年前、当時は斜めストライプの塗装が非常に斬新でした。

伊東駅に停車中に、反対側のホームから編成美をカメラに収めました。

天気予報では曇り時々雨だったのですが、どんどん晴れてまいりました。
これは嬉しい誤算ということで、途中の伊豆高原駅で下車、185系に別れを告げて、大室山にやってまいりました。

リフトに乗って山頂を目指します。

大室山は火山なので山頂には噴火口があって、噴火口の中はアーチェリー場になっていますが、我々は時間も限られているので、噴火口の中には降りませんでした。

そして噴火口の反対側は海一望、まさに絶景です。

日頃の行いが良いからか、なんと富士山も見えましたぁ。

富士山の反対側には伊豆大島も望めます。

せっかく山頂まで来たのですから、噴火口の縁に沿って「お鉢周り」をすることにしました。

1周は約1キロですが、素晴らしい眺めで爽快感抜群です。

噴火口越しに見る富士山の眺め、、、

非日常感を満喫するのにうってつけです。

今日は視程も良く、水平線上に房総半島まで望むことができました。

リフトで山を下りまして、、、

伊豆高原駅から伊豆急の各駅停車に乗って伊豆急下田まで、、、車両は元東急の8000系です。

片瀬白田〜伊豆稲取の間は海が眼前に迫って、伊豆大島や、、、

利島を望むことができました。

終点の伊豆急下田についた我々は、駅から徒歩数分の「いし塚」というお蕎麦屋さんに行きました。

揚げ蕎麦をアテにビールをいただくという至福の時間、、、

蕎麦豆腐のアテには美味しい地酒をチビチビスイスイといただき、至福度はさらに深まります。

そして美味しいお蕎麦に舌も心も大満足するのでした。

このお店の特筆すべきは、山葵、大根おろし、刻み葱という通常の薬味以外に、独特な七味唐辛子(海苔入り)を蕎麦に合わせていただくことですが、これがまた素晴らしく美味しいこと。
思わず自分のお土産用に買っちゃいました。

食後はそのまま伊豆急下田駅にとって返しまして、今度はE261系「サフィール踊り子2号」東京行きに乗り込みます。

先ほどの185系が「昭和の踊り子」なら、今年3月デビューの最新車輌E261系は「令和の踊り子」です。

往路にも増して奮発した復路は、6人用個室の2人使用であります。

天窓のような明かり取り窓は側廊下にもあって、とても明るいナイスな雰囲気です。

洗面台も自動水栓の現代版ですし、、、

トイレもウォシュレット完備で言うことなしです。

広い側窓からは大海原がど〜んと飛び込んでまいります。

こんな素敵な個室が、一部の人にしか買えない超高額商品ではなく、通常料金で設定されていること、しかも駅のみどりの窓口で普通に切符として買えることの素晴らしさ、、、

この専有スペースの広さを考えたら、これは破格の低価格と言って良いでしょう。

この列車には食堂車(ヌードルバー)もあって、インスタントではない、ちゃんとしたラーメンを提供しているのもポイントで、個室ならばデリバリーもしてくれます。

しかも、観光列車なのに価格は¥650というのもまた良心的と思うものです。

せっかくなので地ビールの「反射炉ビール」もデリバリーしてもらいましたが、これまた素晴らしいサービスですあります。

このE261系は、窓ガラスの色が工夫されていて、海と空の青がちゃんと綺麗に映るようになっていて、視覚的にはもちろん、室内に射し込む光線環境も最高です。

旅の終わりの記念に、ということで、綺麗で親切なアテンダントのお姉さんに、写真を撮ってもらいました。

熱海を過ぎると次は横浜まで止まりません。
子供の頃からそうなのですが、往路の特急が藤沢駅を通過する瞬間はとっても嬉しくてワクワクするのですが、復路の特急が藤沢駅を通過する時は非常に寂しくなるんです、、、今日もそうでした。
横浜から東海道線のE231系普通列車(もちろん普通車)で折り返して藤沢に戻ってきました。
夕食はどこにしようかということになりましたが、、、

嫁さんの希望で「古久家」になりました。
ここぞ昭和感がバリバリに満ち溢れる店内であります。

ビールのアテには焼きそばでしょう、、、ここの焼きそばにはしっかりお酢をかけるのがポイント。

さらにはサンマーメン、、、もうね、どんだけ麺類ばかりなんだっていう。。。

朝から効率よく移動と観光をして、昭和と令和の踊り子を両方堪能して、有意義な1日でありました〜。
2020年08月16日 (日) 22:47 | 編集
今のJRが、その昔、国有だった頃、いわゆる国鉄末期には積み重なる赤字で経営悪化し、毎年のように運賃の値上げが行われ、最終的に競合私鉄の2倍程度になりまして、その頃には「国鉄離れ」という言葉がありまして、おいらが中学〜高校の頃は、都市圏の通勤需要以外の国鉄の列車は本当に空いていました。
この利用客数でこんな長大編成の必要あるの?、って感じで、、、しかしながら地方に旅行に出かければ、ガラガラの鈍行列車で4人がけボックスシートを独り占め、、、存分に旅情を感じることができました。
それから30年以上が経った2020年、コロナ禍のせいで、まさか当時の国鉄離れ以上のガラガラの列車ばかりになろうとは。。。
2020年07月21日 (火) 22:20 | 編集
一昨日の日曜日(19日)は天気も悪くなかったので、江ノ島近辺には大勢の観光客が訪れました。
今年は海水浴場が開設されないことが決まっておりますが、片瀬海岸〜鵠沼海岸では海の家がないことにより、例年とは風景が一変しているものの、水着で寝転んで寛ぐ人々、海で泳ぐ人々など、夏の風景が展開されておりました。
ライフガードの人たちも配置されているので、海の家はないですが、海水浴そのものは可能になっております。
海に入ること自体を禁止するわけにはいきませんものね、そんなことを言い出したらサーフィンも禁止になっちゃいますから。
そんなわけで、人出は多かった江ノ島近辺ですが、道路は渋滞しているのに、江ノ電は相変わらず空いております。
コロナ禍以前の休日の江ノ電といえば、混雑のために遅延が常態化、、、12分に1本の等間隔ダイヤが江ノ電のウリですが、それが少しずつズレ込んで12分遅れになったら遅延がなかったことになるという、いわゆる周回遅れのお約束、、、それが昔見た夢のように、今や休日にもかかわらずカッチリ時刻通りに運行されているのです。
胃カメラを飲みに行くために乗った日曜朝8時台の江ノ電ですが、乗客が誰もおりません。
朝の5時じゃなくて8時ですからね。8時にこんなガラガラなんて、にわかには信じられません。

なお、この車輌は1997年に製造された10形というレトロ調車輌です。
車内の各所も凝った造りになっていて、通常車輌よりもコストがかかっているのが解ります。
特に連接部にクロスシートがあるのは、今やこの車両だけ、、、

この10形、1編成しかないので、江ノ電を待っていてこの車輌が来ると妙にラッキーな感覚になるのです。
2020年07月01日 (水) 22:22 | 編集
今日は朝から晩まで雨がザーッと降って、風がビューっと吹いて、たまに晴れ間がのぞいて、また雨がザーッ、、、めまぐるしい天気でしたが、市役所でお仕事したり、銀行行ったり、郵便局行ったり、喘息の診察をしてもらったり、診療室に篭ってレセ作業したり、平日の休診日を有効活用したわけでございます。
その途中で、昼食も例によって「なか卯」でいただきまして、JAF会員特典も使いまして、そしたら唐揚げ無料クーポンがついてきたので、また利用しようと思ったりなんかして、ループに入り込んでいる自分に気づくのでした。

さて、JR東海は、本日(7月1日)東海道・山陽新幹線の新型車両「N700S」の運行を開始しました。
東海道新幹線の車両がフルモデルチェンジをするのは13年ぶりです。
「N700S」は、今までの「N700」や「N700A」と外観こそ似ているものの、中身は全く別物の新型車で、「N700S」の「S」は「Supreme」の頭文字を表しています。
リニア新幹線が2027年に開業予定ですので(静岡県との交渉が難航しているので多分間に合いませんが)、それまでの最後の新形式ということになります。

JR東海は、このN700Sがどの列車に充当されるのか、事前にその運用を公表していませんでした。
やはり新型コロナウイルスの感染拡大が憂慮される中での「3密」を避ける観点からも、鉄道ファンが集結してしまうのを回避したかったのでしょう。
それでもまぁ普通に考えれば、人がなるべく集まらない時間帯に出発式を挙行したいでしょうから、早朝の列車に充当されると考えるのが順当です。
果たして、東京駅6:00発の1番列車「のぞみ1号」と、6:15発の2番列車「のぞみ3号」にN700Sが投入され、奇しくも東京駅の14番・15番ホームに2つの編成が並ぶという、まぁなんと言いますか、コテコテの出発式となったのでありました。

今までのN700Aでも十分に良好な乗り心地・座り心地でしたが、N700Sでは、さらに乗り心地・座り心地の向上が図られているとのことで、これは楽しみです。
なにせ今後の東海道新幹線の主力になる車両ですからね、高嶺の花のような「一生乗ることが出来ないかもしれない列車」というわけではなく、積極的に乗ろうとしなくても「いずれ必ず乗ることになる」車両ですから。
2020年02月10日 (月) 22:18 | 編集
昨日、昔は常磐線の花形特急として活躍していた車両が、今は被災地域の普通列車として使用されている件、について書きました。
そのような背景を知る鉄道マニアな人たちというのは、車両だけでなく「方向幕」にもカメラを向けるものです。

最新の車両では、行先などはLEDで表示されますが、以前は方向幕が主流でした。
ちなみに、方向幕よりも前の時代は「サボ」という、いわゆるサイドボード:鉄製の板でありました。
子供の頃、この方向幕を眺めているのが好きでした、、、というのも、特急が終着駅に到着すると、方向幕を巻き上げて「回送」という表示にして、車庫に引き上げるわけですけど、「回送」の表示は方向幕の終端にあるので、そこに行き着くまでに、色々な特急の名前や行先が延々と表示され続けるのです。
すでに走っていない往年の特急の名前や、超レアな行先が出てきたりして、、、もうね、それはドキドキ&ワクワクしたものでした。
そういえば昔、ウチの嫁さんに「この車両の方向幕、なんか違ってるよね〜」って言ったら、てっきり「芳香膜」だと勘違いしたそうです。